秩序と無秩序 エントロピー増大の法則

文明人とはひたすら秩序を求める人たちである。なぜ秩序を要求するのか。

意識とは、秩序活動にほかならないからである。意識はランダムに働くことができないからこそ、サイコロのような単純極める道具が、古代から残っている。

意識が秩序的であるなら、意識が一定時間存在したら、その分の無秩序が溜まるはずである。つまり、エントロピーが増大する。それは脳に溜まる。意識は脳の働きだからである。だから我々はイヤでも眠る。寝ているあいだは秩序活動である意識はない。寝ているあいだに、脳は溜まったエントロピーを処理する。それには意識活動と同じエネルギーが必要だから、寝ていても起きていても、脳はほぼ同量のエネルギーを消費する。

文明とは意識の産物である。文明とはその意味でつまり秩序であり、あるシステムの秩序はシステムの外部に無秩序を放り出す。

人間は意識だけで生きているのではない。人生の三分の一は、確実に意識がない。眠って意識がなくたても、身体は生きている。意識こそむしろ、身体の部分的な機能にすぎない。その意味でも全き人間を、近代文明は忘れてしまった。

どうせ意識の世界であるのだから、徹底的に意識のみにしてしまう。それが、インターネットである。

意識は身体機能の一部でしかない。身体は意識より大きい。ゆえに根本的には意識は身体をコントロールできない。

問題は意識中心主義であって、そこに気がつかなければ、何の解決もない。

「起きて半畳、寝て一畳」。寝ているときのほうが場所を取るということが示唆的である。人はどれだけのエネルギーを必要とするか。

世界の評価などをあらかじめ意識で考えても無駄。結果はあくまでも後からついてくるものである。